花魁体験

花魁体験をよりお楽しみ頂く為に

当時のファッションを牽引する存在としても人気を博した花魁。
花魁の美しい髪型は、多くの若い女性に真似をされ、やがて世間一般に広まっていきました。

そして花魁は美貌だけでなく、古典や書道、茶道、和歌、箏、三味線、囲碁などの教養、芸事までを仕込まれていてとても賢く多才な人物でした。

現在でもその煌びやかで美しいイメージは、映画やドラマでも幾度となく脚光を浴び、
花魁の豪華な衣装や髪形で写真撮影ができる花魁体験は、多く女性の方々に楽しまれています。

このページでは、花魁体験をされる方々により一層知識を蓄えて楽しんでいただく為に、また、そうでない方々には花魁のことを知るきっかけになります様に、花魁について紹介していきます。

花魁の髪型

勝山髷、伊達兵庫髷、髪飾り

花魁体験

勝山髷(かつやままげ)

江戸時代の初期に、吉原で人気の勝山という遊女がいました。違法行為である湯女として働いていた勝山は、逮捕され、吉原に移り住む事となります。その後、勝山は、当時吉原で最高ランクだった太夫へとなっていきます。 特に勝山は、一般の女性達にも人気があり、目立つ外八文字の歩き方をはじめ、勝山髷(かつやままげ)という髪型を考案し、その上品で美しい髪型は、多くの若い女性に真似されていきました。
因みにその勝山髷は、江戸の中期には遊女の間で広まりましたが、変形をして名前も変え、丸髷と呼ばれ、江戸の後期以降には既婚女性の髪型として更に広まっていきます。

変身写真

伊達兵庫髷(だてひょうごまげ)

花魁さんの髪型としてイメージされやすいのは、伊達兵庫髷ではないかと思います。後頭部に左右2つに分かれた髷を、耳のように上にピンと伸ばした髪型です。更にその2つの髷を横に広げた髪型を横兵庫といい、それも吉原の花魁さんに多く見られた髪型でした。
太夫という遊女の最高の位が存在していた頃には、太夫は伊達兵庫を結われていたそうです。その後、伊達兵庫の人気は一旦無くなり、島田、勝山といった髷が多くなっていきます。その後、改めて人気が戻ってきた伊達兵庫は、島田髷や勝山髷と同じく、広まりながら形を少しずつ変えていき、一般女性の間にも浸透していきました。

花魁の髪飾り

花魁さんの最盛期には、花魁道中の際の簪(かんざし)は数もとても多く、前挿を8本、後挿を8本と、更に櫛を2、3枚、そして笄(こうがい)を挿していました。花魁さんの簪の材質には、鼈甲や象牙といったとても高価なものが使用されていました。

花魁の衣装

帯、足元

花魁体験東京

花魁はなぜ前結びなのか疑問に思う方もいらっしゃるかと思います。大きく3点あったと言われ、1つは帯の一番豪華な部分を見えるようにすること、2つ目は、上流社会の女性への憧れ、中でも公家や武家など上流階級の女性達には何かと世話をしてくれるお付きの人がいたので、自分自身の身の回りの事をする必要がなく帯の前結びの文化が残っており、花魁の帯結びが前結びなのは、上流階級の女性達にならって位の高さを象徴する為でもあったと言われています。そして、最後に既婚女性の象徴でもあった前結びをすることで【一夜妻(一夜限りの妻)】を演出したとも言われています。

また、花魁道中に用いられる俎板帯(まないたおび)は胸前で結んでおり帯のたれの長さが約1mもあり、幅は19cmもの広幅帯を用いていたようです。帯が大きいので胸から大きなまな板をぶら下げたような感じになります。京都島原の太夫も帯を大きく前に結んでいたそうですが、その結び方は『心』という字を表しており「心はしっかり結んで簡単には乱れない」という意味が込められています。

花魁道中での足元は、白い素足を見せることが粋とされ、冬でも足袋を履かない風習がありました。また、三枚歯の高下駄で独特の歩き方をしている所を思い浮かべる方もいるかと思います。この歩き方は、「外八文字」といいマスターするには少なくとも3年の修行が必要とされていました。この歩き方は、人がやらないことを考え出して注目を集めるのが上手だった勝山が考案し、歩く度に着物の裾から肌が見え観衆を喜ばせていたと言われています。

花魁の化粧

白、黒、紅

江戸時代における花魁(江戸美人)メイクですが、特徴としては「白・黒・紅」が三色美とされており、白い肌と黒い髪、それを彩るように小さく入れる紅が美人の象徴でした。江戸では薄化粧が好まれ、京坂では古風な濃いメイクが好まれるといったように地域差もありました。

花魁体験

色白ほど美しいとされており水で溶いた白粉を使い、首や襟足、肩、胸元の辺りまでしっかりと塗り重ねるのが常識とされていました。

花魁体験

江戸時代、女性は結婚が決まるとお歯黒をし、子を産むと眉を剃ったとされています。当時は表情を露わにしない様子が色っぽく見え美しいとされており、歯を黒くすることは結婚した女性が男性に対して貞節(ここでは女性の男性に対する純潔)を表す意味でなされたといいます。これにならい、遊女が結婚することはないのですが人気の高い遊女は、一人前の証としてお歯黒をしていました。それには、お客に対する誠意の印の意味もあった様です。

花魁体験

当時は小さく薄く付けるのが良いとされた紅。江戸後期になると、下唇だけに紅をたくさん重ね塗りすることにより玉虫色にした「笹色紅」という方法が遊郭で流行り出します。その後、庶民の間でも真似され、広く流行していったそうです。

廓詞(くるわことば)

花魁の言葉使い

花魁体験東京

遊女たちは町人や武家の人々とは違う言葉遣いをしていました。皆さんも、メディア等で一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?「〜でありんす」の様な言葉が有名かと思います。そのことから「ありんす詞」とも呼ばれていました。なぜ、遊女たちはこの様な言葉遣いをしていたのでしょうか。
当時の吉原には様々な地方から女性が集まってきており、各々の訛り言葉で会話していた為何を話しているのか分からないこともしばしばあったそうです。それではお客の相手もままならない、ということで言葉を統一し、少しでも優雅に気高く思ってもらえる様にという理由から「廓詞」が生まれました。

エスペラント KOKORO南青山スタジオでは、なりたいイメージに近づける様カラーバリエーション豊富なアイシャドーや伊達兵庫髷、ウィッグを用いたヘアスタイルなどご用意してございます。また、当時の花魁も施していた白塗りもさせていただきます。
花魁の背景も楽しみながらご体験いただけるとより世界観に浸れ、いつもとは違う自分に出会えるかと思います。花魁体験で美しく変身してみませんか?エスペラントKOKORO南青山スタジオでお待ちしております。